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アーカイブズ

 2004年10月以降の活動記録を掲載します。最も新しい活動が、この下にあります。

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Writer's picture日本語教育史研究会

11:30~11:50 総会

12:00~12:05 挨拶

小川 誉子美(横浜国立大学・日本語教育史研究会会長)

12:05~12:35 研究発表1

新竹縣照國公学校の教案を巡って-台湾・新埔鎮照國國小に保管されている日本時代の資料をめぐって- 

泉 史生(日本語教師養成講座兼務非常勤講師,新宿区立鶴巻小学校学習支援ボランティア)

本年9月中旬、台湾新竹縣の新埔鎮照國國小を訪問した。こことの出会いは照國公学校昭和3年のある教師の教案を入手したことに始まる。その教案を分析していく中でどうしても訪問して、当時の資料の有無を確認したかった。筆記者が誰なのか特定したかった。新竹縣文化局は日本時代に開校した公学校時代の文献を順次デジタル資料化を進めている。新竹鎮文化局の全面協力のもと、資料閲覧も滞りなくできた。新竹縣の取り組みも紹介したい。


12:35~13:05 研究発表2

中国福建省の廈門における日本語教育の歴史的変遷‐インタビュー調査をもとに 

曽 湉恬(横浜国立大学大学院生) 

中国福建省の廈門は独特な地理的位置にあり、重要な国際貿易港であると同時に、台湾と隣接している。1895年日清戦争終戦以降、日本は植民地台湾の総督府を通して、直接間接的に廈門の住民を同化し、その時から廈門の日本語教育も始まった。本発表では、主にインタビュー調査をもとに、学校教育に焦点を当て、1895年から現在まで廈門における日本語教育の歴史的変遷を分析し、各時期の特徴を明らかにする。そのうえで、日本語教育が廈門にもたらした影響や歴史的役割を考察する。

13:05~13:15 休憩


ライトニングトーク

◆趣旨説明ライトニングトーク(Lightning Talks)とは、工学系学会やフォーラムなどで行われている短いプレゼンテーション(持ち時間5分)のことです。「こんな資料(資料館)を見つけました。」「最近こんな論文を読みました(書きました)。」「〇〇(地域・時代等)の日本語教育の歴史、面白いですよ。」「研究に役立ちそうなアプリ見つけました。」など、ざっくばらんに情報交換・意見交換をする場です。各5分の発表のあと、ブレイクアウトルームに分かれて、30分ほどそれぞれの発表者を中心に意見交換していただきます。


13:15~13:20 ライトニングトーク1 

日仏共同支配期のベトナムにおいて仏印政府下で日本語を学んだ学習者の存在−「神父様から日本語を習った」の意味するところ

坪田 珠里(京都精華大学)

第二次世界大戦後、ベトナムの高等教育機関で初めて日本語教育が行われたのは1967年の日文短期大学であった。発表者は、その短大の開校当時に日本語教師をしていた人物に日本語を教えた先生(グエン・ゴック・カイン氏)のご家族に聞き取り調査を行ったところ、カイン氏は、1940年代に仏印政府が行なっていた日本語クラスで「神父様から」日本語を習ったという。今回の発表では、聞き取り調査の結果を報告するとともに、カトリック日本管区の宣教師が仏印の日本語教育に携わった可能性につき触れる。


13:20~13:25 ライトニングトーク2

「日本語教育史参考文献:論文編」第六十八版に基づく日本語教育史研究動向瞥見

中村 重穂

「日本語教育史参考文献」データベースについては、2010年の科研費研究、2016年の川上尚恵氏・中村の本会共同発表、2022年の泉史生氏の本会研究発表に於いて様々な分析が行われてきた。本LTでは従来の分析枠(一部)を踏まえてその後の研究動向を明らかにする。また、新たな分析枠で得られたデータを提示し、21世紀以降現れてきた成長が予想される分析枠をも紹介することを通して、今後の研究の参考となる情報を提供したい。


13:25~13:30 ライトニングトーク3

北京月壇中学日本語クラス一期生のライフストーリー 

范 一楠(横浜国立大学) 

1972年1月に北京月壇中学が日本語クラスを開設した。9月の日中国交正常化の前であり、当時の北京では日本語が学べる唯一の中学校・高校となった。一期生へのインタビューをもとに、当時の日本語学習の様子、卒業後のキャリアについて紹介する。月壇一期生のライフストーリーを一例として、中国社会での日本語人材を時代の中で位置付けてみたい。


13:30~13:35 ライトニングトーク4

宣教師ザビエルの日本語教育 

鈴木 綾春(青山学院大学学部生) 

日本に初めてキリスト教を伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルについて、来日した当初どのような環境で日本語を学んでいたかを調査することによって、原初の日本語教育の実態を明らかにし、初級日本語教育における教育方法に活用できることを期待する。日本語教育には、教科書などテキストを用いた学習や会話を用いたコミュニケーション学習などがあるが、そのようなノウハウが無い状態での日本語教育がどのようなものだったかを調べることによって、より適している日本語の教育法が確立されることを目標とする。


13:35~13:40 ライトニングトーク5

インド北東州における日本語教育

徳間 望(Girijananda Chowdhury University)

本発表では、1944年4月にインド北東部のナガランド州において1ヶ月ほど行われた日本語教育について、資料および現地での聞き取りデータを元に報告する。インド北東地域の日本語教育の始まりとして記録が見られるものの、これまで言及されることが少なかったためである。また、戦後を経て、現在インド北東地域でどのような日本語教育が行われているのか情報共有する。


13:40~14:10 ブレイクアウトルームでの意見交換

ブレイクアウトルームでの意見交換後にZoomによる懇親会を予定しています。

ご参加希望の方は研究発表会のZoomにそのままご参加ください。

Writer's picture日本語教育史研究会

12:30~12:35 挨拶

小川誉子美(横浜国立大学・日本語教育史研究会会長)

12:35~13:05 研究発表1

植民地期台湾における仮名遣いをめぐって―『全国小学児童綴方展覧会』採録「綴方」に見える四つ仮名の問題を含む語を中心に―

上出 大河(國學院大學大学院生)

 本発表で調査対象とするのは、植民地期台湾における「綴方」に見える四つ仮名の問題に関わる語句である。剰余的な仮名をどのように用いるのかという日本語母語話者にも混乱を生じさせかねない問題を植民地期台湾における児童がどのように処理していたのか、という点から植民地期台湾における言語状況の一端を探ることとしたい。また、内地系児童と本島系児童の差異についても言及する。


13:05~13:35 研究発表2

「満洲国中央師道訓練所による教員養成―1939 年『日本旅行報告』を中心に

祝 利(北九州市立大学)

 中央師道訓練所は1932年8月に新京で開かれた「教員講習会」から改組され、満洲国教員の思想を統一し、日本語教員を養成する組織である。漢・蒙などの各民族の中堅教員に対する再教育を実施すると同時、1938年より日本人教員の養成も担うようになった。中央師道訓練所の教育内容としては建国精神、満洲国に関する知識、専門知識のほか、訓練終了前に実施された満洲や日本への旅行も挙げられる。本研究では、1939年に実施された日本旅行の参加者により書かれた報告書についての分析を通して、日本旅行の内実を考察し、そのうえで、中央師道訓練所による旅行の意味を検討してみる。


13:35~14:05 研究発表3

戦前期カリフォルニア州の日本語学校が日系コミュニティに果たした役割―金門学園を事例に

森本 豊富(早稲田大学)

 戦前期の米国カリフォルニア州における代表的な日系二世教育機関であり、現在もサンフランシスコに存続している日本語学校「金門学園」を事例に、1900年代初頭の東洋人学童隔離学校問題などの時代背景を踏まえながら、同学園の設立経緯、教授内容、教科書、演芸会・運動会などの年中行事等に関する記録を議事録、学園報、邦字新聞記事などの1次資料を手がかりに分析し、日本語学校が日系コミュニティに果たした多機能的な役割について考察する。


14:05~14:35 萌芽的研究発表1

シンガポールにおける日本語教育 ―国策としての言語教育を背景として―

川橋 葉子(横浜国立大学大学院生)

 多言語国家シンガポールでは様々な教育政策や言語政策がとられているが、第二次世界大戦後の日本語教育も、1960年代の日本政府によるコロンボ計画、血債協定を背景にシンガポール政府主導で行われた。その一環で、中、高校生を対象とした第3言語としての日本語教育も行われている。現地の公文書館所蔵資料や国立図書館所蔵資料である新聞調査にふれ、60年代から現在までの通時的展開をふまえ、今後の展望についても述べる。


14:35~15:05 萌芽的研究発表2

ポーランドに渡り日本語教師をした画家、歌川若菜について

土屋 仁美(横浜国立大学大学院生)

 19世紀半ばからパリを中心にジャポニズムが隆盛した。その頃多くの邦人が渡欧したが、1908年に渡英し8年ほど外遊した、歌川若菜(祖父は歌川豊国の門人、国久)という日本画家がいた。当時の国内外の新聞雑誌、日本美術蒐集家への書簡、本人のエッセイ等から欧州や米国で揮毫活動、ポーランドでは日本語教師を経験したという。ワルシャワ大学の日本語教育開始1919年以前、当地での日本語教育活動の存在として歌川若菜をご紹介したい。


15:05~15:35 萌芽的研究発表3

中華民国新民会日本語教授法指導書の一考察

中村 重穂

 日中戦争期華北占領地で活動した「教化団体」中華民国新民会に於いて日本語教育を担当した熊野逸馬が著した日本語教授法指導書『日本語と日本語教授法概要』を分析し、その内容あるいは記述の源泉を探る。また刊行時期・形態を他の著作や宣撫班編纂教科書『日本語会話読本』と比較検討することを通して当該指導書の性格の解明を試み、さらに可能であれば華北占領地日本語教育の(一部の)状況について仮説を提示する。

15:35~15:40 休憩

15:40~16:30 ライトニングトーク

◆趣旨説明  ライトニングトーク(Lightning Talks)とは、工学系学会やフォーラムなどで行われている短いプレゼンテーション(持ち時間5分)のことです。「こんな資料(資料館)を見つけました。」「最近こんな論文を読みました(書きました)。」「〇〇(地域・時代等)の日本語教育の歴史、面白いですよ。」「研究に役立ちそうなアプリ見つけました。」など、ざっくばらんに情報交換・意見交換をする場です。

◆登壇者及び発表題目


15:40~15:45

磯太恵子(カイロ大学)

「エジプトにおいての日本語教育史–現状の問題点からの提案―」

15:45~15:50

後藤加奈子(リエージュ大学)

「19世紀末日本における日・英・仏言語接触の実態とは?-開港から条約改正まで」

15:50~15:55

曽湉恬(横浜国立大学大学院生)

「日清戦争以降の中国福建省の厦門における日本語教育の変遷ーグローバリゼーションの視点から厦門の日本語教育をみるー」

15:55~16:00

中村重穂

「伊藤孝行編『近代日本語教科書語彙索引』へのささやかな補足」

16:00~16:30

◆ブレイクアウトルームでの意見交換

16:30~17:00 総会

総会の後にZoomによる懇親会を予定しています。

ご参加希望の方は研究発表会のZoomにそのままご参加ください。

お問い合わせは nihongokyoikushikenkyukai(at)gmail.com まで

※(at)は@に置き換えてください。

以上

Writer's picture日本語教育史研究会

12:30~12:35 挨拶

小川誉子美(横浜国立大学・日本語教育史研究会会長)

12:35~13:05 萌芽的研究発表1

社会基盤学専攻における日本語教育史 東平福美(東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻日本語教室)


 東京大学工学系研究科社会基盤学専攻日本語教室は、1982年より外国人留学生へ日本語教育を開始して今年で 40年を迎える。教室の理念である、「1.日常生活へのサポートと人的つながりへの促進」、「2.社会基盤学という専門分野における日本語の必要性」、「3.日本社会への定着支援」を目指し、日本語教室と専攻、そしてホストファミリーや卒業生が一丸となって繋いできた歴史がある。本発表では、これまでの 40年間の実践を振り返りつつ、ただ日本語や日本文化を学ぶだけではない日本語教室の役割と、留学生が一堂に会する重要性について考察する。

13:05~13:35 萌芽的研究発表2

「1930年代にアズハル大学で行われた日本語教育」に関する一考察 會田篤敬(山梨大学)

 発表者は、「1930年代にアズハル大学で行われた日本語教育」に関して、日本アラブ関係国際共同研究国内委員会が作成した「日本とアラブ-思い出の記-(その1)」(1980)、「日本とアラブ-思い出の記-(その2)」(1981)、「日本とアラブ-思い出の記-(その3)」(1982)を用いて調査した。本発表では、上記の調査の結果と「本邦国語関係雑件第一巻18『エジプトニ於ケル日本語関係』」(1936)の内容を統合的に分析した結果に関して述べる。

13:35~14:05 萌芽的研究発表3

岡本千万太郎の日本語教科書と日本語学 岡田誠(國學院大学兼任講師・大東文化大学非常勤講師)

 「日本語教育史参考文献-論文編-」3916点について、新たな時代区分と分野的なラベリングを試みた。ラベリング作業を通して、日本語教育史の問題点が浮かび上がってきた。戦後の日本語教育は、国語教育との違い、確立時代、各分野を取り込む時代へ。日本語教育史も同じ歩みをしているが、取り込む時代に教育史がついていないことが見えてくる。日本語教育史は取り込んだ分野をどのように位置づけるのか。日本語教育史に課せられているその作業の必要性について述べたい。

14:05~14:45 研究発表1

日本語教育史参考文献-論文編-から見る日本語教育史の問題点 泉史生(委託日本語教師養成講座講師(フリーランス))

「日本語教育史参考文献-論文編-」3916点について、新たな時代区分と分野的なラベリングを試みた。ラベリング作業を通して、日本語教育史の問題点が浮かび上がってきた。戦後の日本語教育は、国語教育との違い、確立時代、各分野を取り込む時代へ。日本語教育史も同じ歩みをしているが、取り込む時代に教育史がついていないことが見えてくる。日本語教育史は取り込んだ分野をどのように位置づけるのか。日本語教育史に課せられているその作業の必要性について述べたい。

14:45~15:25 研究発表2

冷戦時代の「交換制度」と日本人講師の系譜-レニングラード大学と大阪外国語大学の場合- 小川誉子美(横浜国立大学)

 ソ連時代の日本研究は、帝政時代の遺産を引き継ぎ大きく進展した。本発表では、日本研究者を多数輩出した旧レニングラード大学を例に、日ソ関係を背景とした人材育成という視点から、日本語研究の展開や日本人講師の系譜をたどる。特に、冷戦時代に、旧大阪外国語大学ロシア語学科が20年に及び教員を派遣した史実に着目し、当地の日本語教育と日本の大学との関わりについて論じる。


15:25~15:35 休憩

15:35~16:30 ライトニングトーク

◆趣旨説明  ライトニングトーク(Lightning Talks)とは、工学系学会やフォーラムなどで行われている短いプレゼンテーション(持ち時間5分)のことです。「こんな資料(資料館)を見つけました。」「最近こんな論文を読みました(書きました)。」「〇〇(地域・時代等)の日本語教育の歴史、面白いですよ。」「研究に役立ちそうなアプリ見つけました。」など、ざっくばらんに情報交換・意見交換をする場です。

◆登壇者及び発表題目

15:35~15:40

「シンガポール教育省語学センター(1978年設立)における日本語教育の意義と社会的背景」

川橋葉子(横浜国立大学大学院生)

15:40~15:45

「タタールスタン共和国の日本語教育とそれによってもたらされた教師と学生の新たな人生観ー1998年~2010年を中心にー」 神代寿美枝(横浜国立大学大学院生)

15:45~15:50

「ポーランド人美術蒐集家フェリクス・マンガ・ヤェシンスキー(1861-1929)と日本語知識」 土屋仁美(横浜国立大学大学院生)

15:50~15:55

「『近代日本語教科書語彙索引』の製作過程」 伊藤孝行(北海道大学)

15:55~16:00

「ハワイ大学の日本語教育史関連資料」 川上尚恵(神戸大学)

◆ブレイクアウトルームでの意見交換 16:00~16:30

16:30~17:00 総会

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